翠天雑記帳::雑文


自立を越えて/1999年12月16日(水)/No.11

ちの母親は専業主婦で父親が働いて母親は家 庭を守る…ってなある意味伝統的な家庭だった。こういう家庭に育った男は女は 家庭で…ってなもんを求めるのだそうだ。一般的にはそうなのかもしれないが、 私は共働き希望だったりする。大学の現代社会の講師はそのへん色々講義をして くれて、70年代ウーマン・リブ運動の事などちょこっとはやった。田中美津とか。 もう「昔の話」って な感じがしたのがその時の感想で、多分これは男の認識の 甘いところなのだろう。現実の社会はまだまだ差別にあふれていて、フェミニズ ムとなって80年代を駆け抜けている。とはいってもただの雑文書きがそこまで語 る力は無いので、思っていることをちょっと明かしてお茶を濁したい。

常々、新しい「世界」は辺境で始まり中央を席巻するものらしい。つまりそう いう実験が許される拘束の少ない環境で始まる。そんな意味でサブカルチャー は新たな時代認識のフロンティアになりうるだろう。漫画はもう市民権を得てる し、商業上は普通の本や雑誌よりよっぽど売れているから、サブカルチャー扱い するのはどうかとも思うのだが、昔から漫画は精神的には解放されていたのだ。 それは「空想の話」を描くのが手塚以来の伝統でもあったからであろう。そんな 中で、男女観に関しても色々なありかたが存在しているのは確かである。男女間 以外の愛を書くのが専門の雑誌も多く刊行されている。まあこれは多分に趣味性 の強いものではあるが、数多くの視点は既存のセクシャル・パラダイムの脱構築、 すくなくとも自身の価値観の多様化には十分な効果がある。等と難しいことを言っ ているようだが単にムズカシソウナコトナラベタだけなんで気にしないように。 そうそう「男女以外」と聞いてゲイだけを思い浮かべないように。ホントもう何 でもありなんだから。
話がそれた。というわけで、

吉田明美/麒麟館グラフティー 1-13/小学館FC(1987-1992?)

れを一つ取り上げてみよう。まあなんだ、こ のダンナがおっそろしい鬼夫なのである。学歴も実力もあるのだが、妻は身の回 りの世話をさせるだけの「女中」として娶る。色々あってそこから逃げてきた妻 が主人公の経営する下宿に転がり込むって感じで物語りが始まる。

この長い話を男性からの解放という視点だけで語るのは、 ファンにも作者にも失礼なのは十分承知しているが、少なくとも1巻第1話に関 しては、色濃く女性解放運動の思想を読みとることができる。下宿の管理人で ある女性の主人公は、料理裁縫家事等といったものは全てダメであるという設 定も、こうなってくると周到に仕組まれてると思ってもいいのかもしれない。 ちなみに逃げてきた妻は、そのへんが完璧という設定。とはいえもう10何年も 前の話である。そこには戦うべき相手としての強い男性像が色濃く投影されて いる。「男による女の搾取」からの脱却のメッセージが感じられる。

紫堂恭子/オリスルートの銀の小枝 1,2/角川コミックスDX(1995-1996)

に取り上げるのはファンタジー漫画で剣と魔 法の世界という設定。魔法学校の生徒である主人公の青年や少年が色々な試練 を経験して育っていくという物語。しかしその中の男女観は作家の周到な意図か ら現代社会を反映してる。この作品の重要な設定に、主人公達が女性に変身して しまうというものがある。古代王国の王女の魂が憑依すると体が女性になってし まうのだ。そして自分の意識とは別に、女性として他者に扱われるという経験を する。

これもファンタジーとして秀逸で男女観だけで切るのはまことに失礼な話な のだが、一つ取り上げたいエピソードは後宮の女達の話である。彼女らは本編と はあまり関係のないキャラクター達であり、それだけにその扱いは作者の日頃の 男女観を表すと思うのであるが、王の失脚から一気に没落するのだ。ところがそ の変わり身といったら早いこと。既に用意してた金で宝石店開くからってな感じ で、最早男性の庇護の元に暮らすどころか、男性と戦うといった思想すら皆無の 自立した女性像が描かれている。他にも自分の妻を危険な目には遭わせたくない と考えている若き賢者が、彼にあこがれ自らも賢者となった妻と反目するといっ たエピソードなど面白いものが多い。

90年代中期の作品であるが、そこで描かれる男女観は、古い価値観の (最早恐るるに足らぬ)男性と自立した女性の対立であるといってい いのではないか。対立とすら言えないかもしれない。明らかに前述の吉田の作 品とは違う思想がある。

堤妙子/聖戦記エルナサーガ 1-13/ガンガンファンタジーコミックス エニックス(1994-1999)

れは少年向け雑誌に描かれた、闇の姫御子と 呼ばれる王女が主人公の物語である。もちろんファンタジー漫画。世界の命運を 左右する能力を持った主人公を戦略兵器として利用しようとする宰相から逃れる 内に、王女を暗殺しにきた敵国の王子と逃避行するといった始まり。

遺伝子操作の香りのする古代精霊の魔術や、北欧神話をモチーフにした魔法、 作家の戦争、正義、生命観など見所は多いのだが、失礼を承知でまたもや男女 観という観点から捉えさせて頂く。するとこの作品で面白いのは主人公エルナ が段階を経て、力のない王女から世界を導く者へと強くなっていく過程である。 特に面白いと思ったのは「自立した女性」からの発展を書 いている点。王宮の窓から外を眺めるだけの存在から、自立と一人での戦いを 経て男女はお互いに頼り頼られる存在となっていく。「自 立」するだけではなく、他を信頼する強さを獲得したなどとと言うと凡庸なの だが。その点で紫藤の前述の作品から更に一歩踏み出した男女観と言える。

とはいってもエルナは最後まで可愛い少女のままであり、あまり深読みしなけ れば、色々あってお姫様と王子様は末永く幸せに…という昔ながらの話ではあり ます。王子シャールヴィはエルナの前ではひたすら色恋に不器用ないい男のまま だし。少年誌だからセックスどころかキスも殆ど無いからセクシュアリティに関 する検討も難しい。

はこんな雑文書きの見る未来はそれからどう なるのか。「女性の解放」それは70年代の話だ。そんなのは分かってる。「自立」 これだって語られ尽くしている。実社会の個々人の問題としては闘う場面や自立 する事も必要だろうが、私はもっと先が見たいのだ。精神の実験フィールドとし てのフィクションに期待しているのだ。男と女が対等であるのは当然の事であり、 男女観という意味で吉田、紫堂の作品には最早見るべきものはない。堤の作品は 一歩踏み出しているが、主題が男女観では無いだけに主張としては弱い。私は自 立した個からの更なる発展の姿を見たいのだ。

森岡浩之/星界の紋章 1-3,星界の戦旗 1,2/ハヤカワSF文庫

の人工種族「アーヴ」なんかは面白い。各々の遺伝子をミックスして遺伝子操 作をし、完全に体外で子供を「作り」育てるのだ。そこでは性的なあらゆるタブー は無くなってしまっている。ライフスタイルの思考実験としてもとても面白い試 みをしている。もっともこれは作品の主要な部分では無いのだが。

さて私はどうなると思っているのか。私は、最早性的な男女の区別からの論 点というのは価値が無くなってしまうと考えている。完全に個の生き方の問題と なってしまうのではないかと。遺伝子として違う以上脳の働きもそれなりに違う のだろうが、人間は後の学習の結果として行動している部分が多くを占めている のではないか。その結果男女の性差というものは生活に関係無くなっていく。

つまりこう思う。男の半分は女である。女の半分は男である。 主な人格としてもジェンダー的にも個の精神の内面的にも。個人の中 での「太極拳的両性具有の舞」に変わっていくのではないかと思う。…。あぁぁ 意味不明ですいません。彼岸的なりよ。

なんか発散してきたのでここらで終わり。感想ドーゾ