翠天雑記帳 雑文


次世代販売/2002年3月4日/No.21)

コピープロテクト付きの「CD」が出た。厳密にはCDの規格に合致していないので、 ほぼ大体のCDプレイヤで再生できるであろう自社規格ディスク。Avex Disc「AD」とでも呼んでおこう。 問題点 は色々とあるのだけども、 A,Bの対立という図式で考えるならそれは戦うためのお互いの方法論であり、 「権利」どうのだなんてただの対立の境界面でしかない。結局目的はお金を儲けたいってこと。 それを「合法的」にどこまで最大限までもっていけるか?というのがADのやってることだ。 まあ今回はどこまで合法かというのは微妙なんだけれども。

ここで指摘していない点を上げるなら著作権と版権は違うってことじゃないか。 ブロードバンド等Netが発達していく時点で 「音楽産業」っていう巨大な中間(版権)問屋が 必要なくなってきたのが見えてきたってことじゃないか。 もちろんそういう業者も客にとって利点はあるのだけれども。 大きな現金のプールが可能だからお金のかかるプロモーションなんかができる。 でもはっきり言えば中間(音楽)問屋は滅んで構わないと思っている。

好きなアーティストがいて、その彼(彼女)がオリジナルのディスクを売っているなら 私は喜んで買うだろう。今の同人誌即売会ってそんな感じ。 自分で作った作品を自分が付けたい値段で直接客に売る。 口コミやホームページで宣伝して売る。高いなぁと思ったら買わない。 でも実は高くても「ボリすぎだよなもう」なんて言いながら喜んで買っている。 それだけのカリスマがあるし、それだけの作品を生みだしている訳だ。 「中間問屋」がTVやラジオ等で行うプロモーションという マスメディアによる宣伝には乗っていない流通である。 中間業者の取り分はもちろん無い。即売会の時間内に売らなければいけないから、 売上としては「中間問屋」の100万枚ヒットなんかに比べると大したこと無いのだけれども、 それでもものの数時間で1個人が100万円売り上げるところだってある。 もしかして即売会って究極の未来の流通形態なんじゃ。と思ったりする。

今普通のディスクを買ってアーティストに渡してると思って 私たちが払っているお金は実は半分も本人に渡っていない。殆どが中間問屋の取り分なのだ。 そんな業者にお金は払いたくない。私がお金を払っても良いと思ってるのは、 尊敬できる作品を作り出したアーティストに対してなのだ。 だから今後は今インディーズと呼ばれている様なレーベルが増えていくのじゃないか。 むしろもっと細分化していくだろう。最後は個人やチームに行き着く。ネット書店の様な感じで 特定のURLで販売を代行している業者から買うようになるかもしれない。 でも「販売代行業者=中間問屋」の手数料は売上の数パーセントがいいところだろう。 「AD」がやっている話は自分たちがいくら儲けたいか?であって アーティストがいくら儲けているか?ではない。私は中間問屋なんかとは不毛な議論をしたくない。 そしてアーティストと客が直接対面して売り買いする様になって初めて、 「私の作り出した情報にいくら払って買ってくれ」という議論が成り立つ気がする。

デジタルコピーは無限回数可能なのだ。だから私だったらこういう販売にすると思う。 「メシと次回の制作費のために最初の×枚は有料で売る。売値は1000円。 ファンなら買って聞いてくれ。それが売り切れたらその後はディスクのイメージファイルを ホームページに置くから自由にダウンロードして、 それを使って自分のPCでCDを作成して聞いてくれ。」多分こんな売り方。 非提携業者による再販も制限はしない。 でも本人のホームページからタダでダウンロードできるのに再販業者が儲けられるとは思えない。

自由にコピーできる解禁日や到達枚数をアーティスト自身が設けて、 「限定版」を得るためにファンが殺到するという構図。 アーティストの人気、ファンの多さはアクセスカウンターならぬ ホームページの売上枚数カウンターで決まる。 「絶対コピー禁止」「コピープロテクトかけました」なんて言いだすのは、 初売りで枚数を捌くことの出来ない弱小のアーティストがやるケチな行為。多分蔑視される。 有名アーティストは気前よく発売翌日には完売して無料配布開始である。 もちろん「自由ダウンロード版は置いてあるけど通常販売版も好評につき続行」ってのもアリ。

売れるたびに無限に利益を得られる。それを守るために他人にコピーは絶対にさせない。 なんていう考えは原理的に無限コピー可能な情報からのお金の得方として間違ってる。 と私は思うんだが。どうでしょうこういう売り方。 タダがそのうち出るってなったら誰も買ってくれないかなぁ。 こういう売り方で生活していける方が大勢出てくる様な、成熟した社会になってほしいと思うのですが。 ルネサンスの頃、芸術家はパトロンからお金をもらって生活していた。 作品はそのパトロンの要求に応えるために作られた。 未来はNetが大勢のファンをパトロンに変えることができるのではないか。 そして多分そういう世界が「芸術が栄える」世界。